胸の真ん中が、硬くなっていませんか
今、少しだけ、手を止めてください。
右手を、胸の真ん中に当ててみてください。
胸の前にある平らな骨、胸骨のあたりです。
押し込まず、手のひらをそっと置いて、無理のない範囲で息を吸ってみてください。
どうでしょう。
胸が、素直に膨らみますか。
それとも、どこかで、つかえる感じがありますか。
息を吐いたとき、胸の真ん中に、硬さが残る。
そんな感覚があったなら、今日の話が、自分を見つめるきっかけになるかもしれません。
◯
私は二十年、人の身体に触れてきました。
二万件以上の施術を通して、誰かの背中や腹に手を置いてきました。
その中で、何度も出会ってきた身体があります。
胸の真ん中が、石のように硬い人。
その人たちと話していると、自分を責める癖が見えてくることがありました。
口に出すわけではありません。
本人も、気づいていないことが多い。
ただ、何かがうまくいかないとき、まず、自分を疑う。
自分のどこが悪かったのかを、探す。
そして、静かに、自分を罰している。
私は、そうした責め方が、胸の緊張にも表れているのではないかと感じてきました。
胸が硬い人すべてが、自分を責めているということではありません。
けれど、身体に触れ、言葉を交わす中で、重なって見えてくることがあるのです。
責めるという行為は、矢を放つことに似ています。
けれど、その矢は、外には飛んでいません。
自分の胸の、真ん中に刺さっている。
◯
では、どうすればいいのか。
責めるのを、やめましょう。
そう言うのは簡単です。
でも、それができないから、苦しいのですよね。
だから、まず、やめるのではなく、止まる、でいい。
責めている自分に気づいたら、そこで、いったん、止まる。
責めを、消そうとしなくていい。
正しい考えに、置き換えようとしなくていい。
ただ、矢を放つ手を、止める。
その一瞬に、わずかな隙間が生まれることがあります。
隙間ができて、初めて、そこで何が起きていたのかを、見ることができる。
詰まったままでは、見えなかったことがある。
隙間が、観察を可能にするのです。
◯
もし、それでも内省したくなったら。
一つだけ、分けてください。
私自身を責めているのか。
私の行為を見つめているのか。
この二つは、まったく違います。
行為を見つめるのは、必要なことです。
あの対応はまずかった。
あの言葉は選び直せた。
それは、次につながる。
けれど、私という存在そのものを責めるのは、別のことです。
「私は駄目だ」
「私には価値がない」
そうやって自分のすべてを罰してしまうと、何を変えればいいのかが見えなくなる。
ただ、矢が刺さり続けるだけです。
責めそうになったとき、少し立ち止まってみてください。
それは、行為への問いなのか。
それとも、自分の存在への、罰なのか。
そこを、分けてみるのです。
◯
最後に、もう一度。
胸の真ん中に、手を当ててみてください。
さっきと、同じ場所です。
少しだけ、息を吸ってみる。
もしかしたら、さっきより、ほんの少し、膨らみやすくなっているかもしれません。
変わらなくても、変えようとしなくて大丈夫です。
今、どんな感じがするのかを、そのまま確かめてください。
何かを足す前に、いったん、矢を放つ手を止めてみる。
考えではまだ整理がつかなくても、身体には、先に小さな変化が現れることがあります。
その変化から、自分との付き合い方を見直してみる。
私は、そんな入口を大切にしています。
五十嵐 靖